忍者ブログ
  • 2024.03
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 2024.05
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

【2024/04/29 23:46 】 |
フェルミパラドックス
 突然、昔の宇宙オタクに戻って。
 つい数年前、表題に関して色々語りを入れている本を読んだ。確か題名は『広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由―フェルミのパラドックス』だったか。なかなか冷静にパラドックスへの「説明」を議論していて面白かった。
 私も、ハタチを過ぎた頃から、ひょっとするとこの宇宙で知的生命の誕生する確率は、非常に低いのではないか、という仮説というか疑問を抱き続けている。
 但し、最近は、生命というか、外部からエネルギーを取り込んで自分のコピーを作りたがる「何か」は、当然のように集団化・複雑化する方向にベクトルが向くのではなかろうか、つまりは、自己増殖する生命が発生した時点で、所要時間の多寡はあれども多細胞化は避けられないのではないか、そして当然の帰結として、細胞集団の複雑化の帰結として、環境に適応するのではなく、環境をコントロール「知性」という進化は存在しているのではないか・・・・というところに、宇宙の生命に対する仮説を抱いている。かつてほど、レアアース仮説に固執しているわけではないのだが。

 しかし、カメラのブレや、特定の人々の幻想の中や、または確信犯的に金儲けや権威のための戯画の中のみにしか、宇宙人が居ないことについては、引き続き「レアアース仮説」および「知的生命が相互に連絡し会えるだけ宇宙は時間が経過していない」という考えを持っている。
PR
【2010/09/27 12:13 】 | 生活 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
飯島真理様
SUNP0164s.JPG











拝啓 飯島真理様

 CD届きました。ありがとうございます。
 しかも、サイン入り。それから、「郵送まだですか」のメールにも丁寧に答えていただいて。
ご本人様かどうかワカリマセンが、ご本人様手ずからの発送であると信じて、手書きの封筒ごと、メールアドレスごと、そして勿論CDも、人生の宝にします。

 お声のほうも相変わらずで。いや、あれから艶が加わったかな。さすがに昔ほど、アタマのテッペンから抜けるような高音は難しそうだけれども。かく言う私も、自称太目のトクナガであった時代はとうに過ぎ去り、「壊れかけ・・・」もカラオケ設定から1音半下げないとフルで歌えなくなってしまいました。

 いやいや、私如きに飯島真理様を批評する資格はありません。18の頃の自分を今ここに連れてきて、一緒に拝聴します。18の頃の自分は、おそらくサイン入りのCDなんか手にしたら、狂喜の余り号泣しちゃうんではないかと。

 NYのことを歌ったSuki To Ienaiが、NYでの思い出や懐かしさも手伝って、お気に入りです。

 ありがとうございました。

敬具
【2010/09/21 11:13 】 | 生活 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
売家と唐様で書く三代目

 この川柳は確か、シバリョウタロウのエッセイか何かで知った。確か街道をゆくの中国江南のみちだったか。ネットで検索すれば誰彼がこの川柳について説明している。
 遊蕩に耽った大店の三代目が、ついに身上を潰し、家を売り渡すことになったが、「売家」の字体はどこかのお稽古事で身に付けたであろう唐様であった、ということ。「『つД`)・゚・゚゚・*:.。 売家 orz』 と写メで送信三代目」というところか。お粗末。

 お坊ちゃんと称される学生や社会人にはこれまで何人か会い、当時は、すげー、とかいいなーとか言ってたんだけれども、せいぜい上場企業の役員や部長サンの子女程度が殆どであった。うちの家庭と比べたらせいぜい桁が一桁違う程度の話であり、多少いいマンションに住んでいるとか、多少本人の実収入には不相応のクルマを乗り回している程度の話であり、ま、そうは言っても同じ金銭感覚を共有しているというところはあった。

 推定、四桁違う一族のお坊ちゃんの場合は話が違った。オヤジはそんなに有名ではないけれども「裸一貫から」の類の立志伝中の人物ではある。それゆえに、跡継ぎには自分の価値観、経営センスを次世代に遺すべく、徹底した教育を施したらしい。確かに、そのお坊ちゃん、若いくせに接待とか、社外の付き合い系には熟達していた。政治家や財界の人材とのつながりも半端ではないことに加え、何よりも、その資質はともかく「人の上に立って当然」という気概はあった。
 私生活での女性関係も、単に火遊びの域を超えて何人か「囲う」「店を持たせる」レベルに行っていたと思う。金の使い方は(上には上がいるとは思うが)、言うまでも無し、である。お一人様10何万円の飯のご相伴に預かった時は、少し落ち込んだが。

 そのお坊ちゃん、将来の経営の修業のためにその一族の会社の子会社の経営を任されることとなった。これまた若い身空で「社長」である。本人も、曲がりなりにも一国一城の主、オヤジが成した以上のことをその子会社で実現して見せるんだ、と張り切っていた。

 しかし、間違いが一つあった。いや、オヤジさんとしてはその間違いに気付かせるための子会社派遣であったかもしれないが。
 10億円使って100億の商売を取ってくることは学んできたが、明日の1000万円の給与支払いのためのお金をナントカすることは知らなかったのである。少なくとも、その大切さを知ってはいたが部下の財務課長さんがやるもんだと思い込んでいた。売上が兆円を超えている親会社とは違い、そこらへんの中小企業かそれ以下のレベルである。それ以下のレベルと言うのは、親会社のブランドに寄りかかっている部分が、独立独歩の中小企業とは違うという意味でである。

 最初の頃は、自分の意志で接待費使い放題、私的な経費を会社に回したり、「明らかに怪しい女性社員」を雇いいれたり、色々していたのだが、当然、そんなことをやっているうちに、キャッシュが怪しくなってきた。上のような接待費とかは可愛いもんであるが、やはり、年商5億かそこらの会社が、半年分の、しかも半年もたてば価値がゼロになるような在庫を抱えて、しかも常に「新品」を在庫に持ちたがるから、金がなくなるのも当然である。

 っと、これ以上詳細に書くと、諸方面に迷惑がかかるので、ここでとめておく。要は、創業者であるオヤジさんは、100億の売上を取る為の投資も、明日の100万円の決済のためのキャッシュを用意することも、経営感覚の中では同じ重要さを持っていたと思う。しかしながら、そのオヤジさんが徹底して教育をしたにもかかわらず、二世代目には、100億の売上を取る事ばかりが強調され、キャッシュを守ることが無視されてしまったのである。

 このお坊ちゃんにも、何だかんだ言って、もう二十歳を過ぎた子供がいるはずである。彼がまだ小学生の頃に一回あったきりではあるが、当然、この一族の掟として、この一族の会社を継がねばなるまい。三代目には何が引き継がれるのであろうか。また、何が忘れられてしまうのであろうか。

【2010/09/12 12:01 】 | 生活 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
朝型仕事人として

 基本的に、朝は別に6時から働けと言われようが、特に問題ない。ただし、夕方以降は仕事をしたくない。出来ることなら、5時上がり⇒6時帰宅。その後、DVDで映画二本見てもまだイケル、そんな生活をしたいのであるが、これまで選んだ職場が、夕方から夜にかけてアクセルのかかるような所ばかりである。自業自得ではあるが。

 いや、日本のホワイトカラーの職場は大抵そんなもんだと思う。あなたの同僚・上司・部下、午後5時以降に仕事のテンションを上げてくる奴が結構多いのではないか。ま、更には、朝から晩まで仕事漬、しかも好きでやってます、という、「家庭大丈夫?」「睡眠時間何時間?」「人生に仕事以外の何か、持ってる?」という手の、超人または馬鹿がいるが、ま、敬服はするが、遠慮させていただく。
 不思議なもので、大抵、夜遅くまで仕事していることは「アイツはすごく頑張っている」と上司も認めるのに、朝早くに来て仕事していることは、「朝早く来て何かコソコソやっている要領の悪い奴」となるのである。
 こうなってくると、雇われる側も本能的に何をすれば評価されるのかを察知して、昼間は雑談やら、リサーチに見せかけたネットサーフィンをしてた奴が、5時前後になると急に電話をかけまくったり、同僚とテンション高めの議論を開始したりするから迷惑この上ない。

 サービス残業は問題と言うのを百も承知であえて言えば、「(会社が無駄に報酬与えているという意味での)サービス残業も多いのではないかと思う。いや、多い。

 っと。残業のことを議論するのではなくって、朝型人間として、夕方のハイテンションは耐え難いと言う話である。勿論私も、「明日の朝一番提出」の書類を、完成のメドが立っていないのに明日の朝早く来て作るような愚はしない。やるとなれば、徹夜を辞さない覚悟もある。
 でも、普通の日くらいは、本当に、早く帰ろうぜ。それで嫌味を言う上司は、所詮その程度のウツワなんである。その程度の時代感覚の持ち主なんである。その程度の国際感覚の持ち主なんである。その程度の経営理念の持ち主なんである。

 最近、私の心の中で「日本的ガサツ経営」といううイメージが急に大きくなりつつある。
いや、世界に冠たる、技術や経営の歴史一変させたようなトップランナーのことをアレコレ言う資格は無いのだが、国際化の境界線でもたもたしている企業は、そういうところが多いのではないか。

【2010/09/10 11:53 】 | 生活 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
泣き映画
 昔ほど映画で涙ぐむことは少なくなってしまった。何処に泣く要素があるんだというような映画でも涙ぐんでいた時代があった。今は、さすがにオッサンになったし。そうやたらめったら泣いてばいられない。
 人様に自慢できるほど映画を見てきているわけではないので、あんまり偉そうなことは言えないけれども、今でも、「見れば泣く」という映画はある。年をとって「あの頃の涙をもう流せなくなってしまった。」という映画もある。「いや、恥ずかしいけれども密かにこんな映画で泣いています。」と言うのもある。「昔見たけれども、この年になってようやく泣けた。」もあるか。

 「見れば泣く」は、何だろう。やはり、元宇宙オタクからすれば、「アポロ13」か。毎回、泣く。泣き箇所は一箇所だけである。当然最後の大気圏突入成功のシーン。あとは、ガキの頃に戻って、宇宙への憧憬を膨らませ、大人の自分として、危機対処のチームワーク、リーダーシップ、プロフェッショナリズムを堪能している。

 「あの頃の涙を流せなくなってしまった。」と言うのは、やはりスポーツ系か。「ロッキー」とか、「メジャーリーグ」とか、スポーツにおけるシンデレラストーリー的な奴。何故だろう?1998年にスポーツ観戦で流すべき涙を流しつくしてしまったからであろうか?(ベイスターズのことです。ちなみに) 多分、スポーツ映画の主人公に感情移入するだけの「体力」「運動能力」がなくなっちまったからなんだろう。

 「いや恥ずかしいけれども泣く」というのは「スティッチ」。子供の見るディズニー映画様である。でもエンディングは、泣くぞ。アレ。例によってディズニー映画的大団円であることには変わりないが、やはり、「Family」に大人としては涙ぐんでしまう。

 「今、泣けるようになってしまった」これは、今後続々登場するかもしれないが、「紅の豚」。ジブリ映画っつうのが少し恥ずかしくもあるが。この年になって、ようやく登場人物たちが背負っている何かを実感できるようになった。ジーナさんを同じような年の「色々あったけど、いい女」として感情移入できるようになったこともあるか。
 ジーナさんのホテルの上空でのアクロバット飛行につながる回想シーン。これは最近、泣ける。

 そして、最近、数年前馬鹿みたいに泣いてしまったのが、「フラガール」。あの時代の息吹を少しは知っている世代(と言っても、私のオヤジくらいの世代のストーリーなんだが)だけに、ノスタルジーも追い討ちをかけて、泣いた。いや、三箇所も「御号泣処」を作るなんて卑怯。
 御号泣処その①:サナエちゃん(徳永えり)お別れのシーン
 御号泣処その②:駅でまどか先生(松雪泰子)を引き止めるシーン
 御号泣処その③:ラストのダンスシーン。蒼井優のおへそが可愛いッス

 あとは、泣きはしないけれども、、見終わった後、充実の溜息を「ふーっ」と出す映画はある。むしろ、こちらのほうが人生に刻み込まれてしまった何かが多いので、また、いずれアレコレ書きたいが、いま思いつくのは「ショーシャンク」と「フォレストガンプ」か。
【2010/09/07 11:58 】 | 生活 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
| ホーム | 次ページ>>