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久しぶりに鉛筆を使って仕事をする機会があったので、ずいぶん昔のことを思い出してしまいました。
それに、日本にいる頃「東大生の使うノート」みたいなコンセプトで売っているノートに少し抵抗を感じたもので。 1年間受験浪人だった頃、同じ浪人の友人達の間で流行ったのが、ノートは使わずに予備校の印刷機(当時はコピー機やプリンターがそこまで普及していなかったもんね)の横に置き捨ててある印刷ミスの紙を回収してきて、紙製のフラットファイルに綴じ込み、ノート代わりに使うってものでした。 何だそんなことくらい、ミスコピーの裏側をメモに使うなんざ、誰でもやっておるわい。と、いう話ではありますが、よく思い出してみれば、当時は今より環境意識が薄かったこともあるし、何よりも、今よりライフスタイルの多様性が認められていなかった時代ではありました。ひょっとしたら、会社ではコスト削減の努力として認められることはあっても、学生にとってはそんな貧乏臭い真似はやりづらかったんですね。 イヤラシイ話ではありますが、国立上位校を狙っているグループの優越意識はありました。正直。今はどうかわかりませんが、受験問題は「選択肢」とか「穴埋め」といった類のものはほとんど無く、問題用紙に一行二行だけ問題が書いてあって、後は全部解答部分。こうなってくると罫線の引いてあるノートよりは、無地の紙のほうが実践の訓練にもなるし、難問に取り組んでいる誇りはありました。 一方で鉛筆は、紙を痛めやすいシャープペンシルは使わずに、三菱ユニの、おしりの部分が丸まっている高級なやつ。書き味や、論理展開の全面見直しが必要となった時の消し味が違ったもんねー。 そういえば、グラフですらものさしを使えなかったなー。無地の紙にグラフを手書きで書かせたら上手いもんでした、当時。 そういうことで、綺麗な罫線に何かドットまで打ってある「東大生のノート」に少し反感を感じた次第です。 ま、無地のミスコピーの裏側を指して「●●大生のノート」じゃぁ、商品価値が無いとは思うけど。どこの大学かは・・・まぁご勘弁ください。 PR |
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