日本の田舎のお話。
過疎、とか言われてもう何十年にもなる。
グーグルアースで見れば、山間のほんのわずかの割れ目のような地域に過ぎない。
人口は数千。取り立ててこれと言った産業も無い。
10年前までは、この街も、高度経済成長期の過疎の波に洗われた後、何とか、僅かずつではあるが、発展の道をたどっていた筈である。スーパーマーケットも建ち、中学校は新築され、キャンプ場も出来た。コンビニも国道沿いにできた。バブル崩壊の影響、というよりは、バブル経済自体がこの街に押し寄せることも無く、人々は、東京やその他都市部で起こっていることに比べれば、はるかに静謐に、しかしながら堅実にこの街で営みを続けて居た筈であった。
今から思うと、80年代~90年代に国家を代表するような有力政治家をこの街が出したことも、この街が何とか発展を維持できた理由であろう。「林道」にしては不似合いな、立派な舗装とガードレールのついた道ができ、この街の人口にしては不似合いな「●○センター」なる施設がいくつか建てられた。町内限定のTV放送局も出来た。それによって、人々は雇用が確保され、人々の消費によってこの街は潤っていた。
10年間、海外に居て、ほとんどこの故郷に帰ることは無かったのであるが、帰って見ると、一変していた。その間、その有力政治家は死亡し、隣村・隣町と合併し、これまた不似合いな「市」となっていた。隣町に開通した高速道路が、街の中を通っていた「国道」からクルマの往来を持ち去ってしまっていた。
自宅の窓から眺めると、時折スーパーから漏れ出す音楽が空ろに響き、街中を歩いても、人と会うことは稀であった。たまたま帰省して一日二日眺めただけであるので、ひょっとしたら、一番静かな瞬間しか見ていなかった可能性はある。また、この街から見ることのできる空を天下の全てと思っていた、子供の頃とは感受性が異なるかもしれない。
けれども、市町村の合併により、街としてのアイデンティティは失われ、高速道路は、人々や物資の往来を奪って行った。真の過疎がこの2000年代に入ってやってきているように思えた。
年老いたら、この町に戻り、この街の行く末と共に暮らしてゆきたいと思う。
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