海外に行く際には、いちいちくだらないものまで引越し屋に運んでもらうのも金の無駄なので、結構な量の本を置いてゆかなければならない。大体、飛行機の中で読んで飽きない数冊のみを手荷物の中に詰め込んで行くことになる。
一番最初の渡航の時は開高健「最後の晩餐」だった。右も左もわからない留学生活の中で、しかも、不良学生と相部屋のドームで、深夜、ベッドの中でボロボロになるまで繰り返し読んだのを覚えている。
今回は、浅田次郎数冊、開高健「白いページ」復刻版、そして小松左京「復活の日」である。
人生の中で繰り返し読んだ本は、司馬遼太郎「項羽と劉邦」とこの「復活の日」が双璧をなしている。もう、何回読んだか、というレベルではなく、「たまたま開いたページから読み始める。」「今日はこの場面、と決めて読み始める」というレベルである。もう、四半世紀以上になる。
ガキの頃は、「核酸」「ブドウ状球菌」「バクテリオファージ」と言われても何も判らず、ただ、世の中が四半期かけて(いやだねー、この社会人的表現)崩壊してゆく様に戦慄し、南極で生き残った一万人の運命に感動しただけであるが、この本にちりばめられたプロットのほとんどを理解できるようになった今(一部、哲学に関する記述の中で、わからないところアリ)、読むたびに改めて発見し、感動する状態が続いている。
アマゾンの書評の中には「間に挿入されている社会学者の長広舌が蛇足。」とか書いてあったように覚えているが、私に言わせれば、聞く人も死に絶えた、人類最後の授業(ラジオ教養講座)にしてはまだ軽すぎる(ほめ言葉である。ちなみに。)、という印象である。
映画?映画はつまらなかった。あれじゃ、絶滅の危機感が伝わらない。カドカワのお金ではアレが限界であろうが、おそらく二部形式、ないしは三部形式にしてディテールを作りこんで欲しかった。物語そのものは、現代でも全く色あせていない筈なので、リメイク作品がブームとなっている今、是非とも作って欲しい。
年を経て、もう一つ変わったことが、出発前夜の吉住とイルマおばさんの行動、イルマおばさんの肌触り、最後のイルマおばさんの「ヨシズミだわ!」に込められている感情、とかが理解できるようになり、年甲斐も無く目頭を熱くさせてしまうことである。この部分は、さすがにネタバレ。これ以上は語らないで措く。
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