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八甲田山と言う名を冠した小説も映画も好きだったので、日本に滞在した数年間の間に二回、八甲田山に行った。ま、スキーはもう出来ないので、夏と秋に訪れたのであるが。
秋に行ったときは、定番の紅葉の奥入瀬渓流と、十和田湖。夏に行った時は、知る人ぞ知る、馬立場(銅像茶屋)から第一第二露営地巡りである。このときは、徒歩で挑戦した。こういう、充実した、誰のスケジュールにも制限されること無く、自身の興味一本槍で回れる一人旅は、十数年前、屋久島を訪れて以来であろうか。 十和田湖。映画でも回想シーンの中に出ていたが、濃緑の、絵の具を溶かしたような(余り良い表現じゃないね)湖の色は、映像のごまかしではなく、本当の湖のナチュラルな姿だった。もし、秋の穏やかな日に、一人ボートで「E」の字の真ん中の棒のあたりで過ごしていいとなったら、飽きずに一日をうっちゃることができる。 馬立場―鳴澤―大滝平―田代温泉コース。観光ついでのオジサンは少し疲れたが、確かに、夏場に歩くのならなんでもない距離である。小説中・映画中にこれでもかと描写された鳴沢一帯は、アスファルトとガードレールに阻まれて、何処がどう大変だったのか、実感はいま一つであった。でも、第二露営地は、「え、馬立場はすぐそこじゃん、って感じの場所にあり、それが一層、これらの小説や映画の元となった事件の悲惨さを物語っていた。 銅像茶屋から望む前岳は、すばらしい光景であった。これも長年の宿願であった、小笠原孤酒氏の著作を銅像茶屋の土産物店で買った。ネット販売では買えない品物である。 歴史の舞台としての興味から訪れようと思っていた八甲田山であるが、八甲田山の存在そのものが好きになった。また、行ってみたい。 PR |
基本的に、朝は別に6時から働けと言われようが、特に問題ない。ただし、夕方以降は仕事をしたくない。出来ることなら、5時上がり⇒6時帰宅。その後、DVDで映画二本見てもまだイケル、そんな生活をしたいのであるが、これまで選んだ職場が、夕方から夜にかけてアクセルのかかるような所ばかりである。自業自得ではあるが。 |
政治家のオザワさんのことである。
何も知らないで論評するのもアレなので、一応、ウィキペディアを高速スクロール読みした。 「私の立場とは少し違うけど、悪い人じゃないじゃん」 「コワモテ、右翼の親玉のような雰囲気あるけれども、意外にリベラルじゃん。」 この人のことについては、勿論、ずっと新聞紙上で読みもし、テレビで見もしてきたが、余り知らなかった。 ま、小泉さんみたいに、キャッチーなフレーズで政策の骨子を表現して見せるとか、菅さんみたく、かわぐちかいじや広兼憲史の漫画に出てくるようなキャラでもないけれども、ま、政治家としての治績は、評価に値する思う。いうなれば本宮ひろしの描く大物悪人キャラか。 残念ながら、今は、天の時が完全に欠けている。欠けているどころか、ワーストオブワースト、である。それでもあえて、今、どうしても、という信念があるのか、それとも、「菅さんイケメンだしなー。クチも達者だし。薬害騒動では涙も流したし。このまま人気が出て長期政権になっちまったら、俺の出番がなー。」程度の三流政治家か。 天の時、などと諸葛孔明じみたことを言ったが、実のところ、空気を読む・読まないなどという卑小なレベルのことは、小沢さんには期待していない。いずれどこかでそのパワーを総理として発揮してもらいたかった。ただ、「よくわからなかった鳩ピー」の黒幕として終えるにはちょっと惜しいと思っている。 時の到来を待って欲しい。 本当は、こき下ろすつもりが、ウィキペディアで少し共感する部分もあったものだから、トーンが変わってしまった。 |
昔ほど映画で涙ぐむことは少なくなってしまった。何処に泣く要素があるんだというような映画でも涙ぐんでいた時代があった。今は、さすがにオッサンになったし。そうやたらめったら泣いてばいられない。
人様に自慢できるほど映画を見てきているわけではないので、あんまり偉そうなことは言えないけれども、今でも、「見れば泣く」という映画はある。年をとって「あの頃の涙をもう流せなくなってしまった。」という映画もある。「いや、恥ずかしいけれども密かにこんな映画で泣いています。」と言うのもある。「昔見たけれども、この年になってようやく泣けた。」もあるか。 「見れば泣く」は、何だろう。やはり、元宇宙オタクからすれば、「アポロ13」か。毎回、泣く。泣き箇所は一箇所だけである。当然最後の大気圏突入成功のシーン。あとは、ガキの頃に戻って、宇宙への憧憬を膨らませ、大人の自分として、危機対処のチームワーク、リーダーシップ、プロフェッショナリズムを堪能している。 「あの頃の涙を流せなくなってしまった。」と言うのは、やはりスポーツ系か。「ロッキー」とか、「メジャーリーグ」とか、スポーツにおけるシンデレラストーリー的な奴。何故だろう?1998年にスポーツ観戦で流すべき涙を流しつくしてしまったからであろうか?(ベイスターズのことです。ちなみに) 多分、スポーツ映画の主人公に感情移入するだけの「体力」「運動能力」がなくなっちまったからなんだろう。 「いや恥ずかしいけれども泣く」というのは「スティッチ」。子供の見るディズニー映画様である。でもエンディングは、泣くぞ。アレ。例によってディズニー映画的大団円であることには変わりないが、やはり、「Family」に大人としては涙ぐんでしまう。 「今、泣けるようになってしまった」これは、今後続々登場するかもしれないが、「紅の豚」。ジブリ映画っつうのが少し恥ずかしくもあるが。この年になって、ようやく登場人物たちが背負っている何かを実感できるようになった。ジーナさんを同じような年の「色々あったけど、いい女」として感情移入できるようになったこともあるか。 ジーナさんのホテルの上空でのアクロバット飛行につながる回想シーン。これは最近、泣ける。 そして、最近、数年前馬鹿みたいに泣いてしまったのが、「フラガール」。あの時代の息吹を少しは知っている世代(と言っても、私のオヤジくらいの世代のストーリーなんだが)だけに、ノスタルジーも追い討ちをかけて、泣いた。いや、三箇所も「御号泣処」を作るなんて卑怯。 御号泣処その①:サナエちゃん(徳永えり)お別れのシーン 御号泣処その②:駅でまどか先生(松雪泰子)を引き止めるシーン 御号泣処その③:ラストのダンスシーン。蒼井優のおへそが可愛いッス あとは、泣きはしないけれども、、見終わった後、充実の溜息を「ふーっ」と出す映画はある。むしろ、こちらのほうが人生に刻み込まれてしまった何かが多いので、また、いずれアレコレ書きたいが、いま思いつくのは「ショーシャンク」と「フォレストガンプ」か。 |
いや、月曜の朝から都営大江戸線飯田橋駅構内で(具体的だなぁ)露出オヤジになるという意味ではなく、テンション全開で仕事できないか、という意味である。 |