忍者ブログ
  • 2024.04
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 31
  • 2024.06
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

【2024/05/15 20:28 】 |
八甲田山
 八甲田山と言う名を冠した小説も映画も好きだったので、日本に滞在した数年間の間に二回、八甲田山に行った。ま、スキーはもう出来ないので、夏と秋に訪れたのであるが。

 秋に行ったときは、定番の紅葉の奥入瀬渓流と、十和田湖。夏に行った時は、知る人ぞ知る、馬立場(銅像茶屋)から第一第二露営地巡りである。このときは、徒歩で挑戦した。こういう、充実した、誰のスケジュールにも制限されること無く、自身の興味一本槍で回れる一人旅は、十数年前、屋久島を訪れて以来であろうか。

 十和田湖。映画でも回想シーンの中に出ていたが、濃緑の、絵の具を溶かしたような(余り良い表現じゃないね)湖の色は、映像のごまかしではなく、本当の湖のナチュラルな姿だった。もし、秋の穏やかな日に、一人ボートで「E」の字の真ん中の棒のあたりで過ごしていいとなったら、飽きずに一日をうっちゃることができる。

 馬立場―鳴澤―大滝平―田代温泉コース。観光ついでのオジサンは少し疲れたが、確かに、夏場に歩くのならなんでもない距離である。小説中・映画中にこれでもかと描写された鳴沢一帯は、アスファルトとガードレールに阻まれて、何処がどう大変だったのか、実感はいま一つであった。でも、第二露営地は、「え、馬立場はすぐそこじゃん、って感じの場所にあり、それが一層、これらの小説や映画の元となった事件の悲惨さを物語っていた。
 銅像茶屋から望む前岳は、すばらしい光景であった。これも長年の宿願であった、小笠原孤酒氏の著作を銅像茶屋の土産物店で買った。ネット販売では買えない品物である。

 歴史の舞台としての興味から訪れようと思っていた八甲田山であるが、八甲田山の存在そのものが好きになった。また、行ってみたい。
PR
【2010/09/11 12:11 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
朝型仕事人として

 基本的に、朝は別に6時から働けと言われようが、特に問題ない。ただし、夕方以降は仕事をしたくない。出来ることなら、5時上がり⇒6時帰宅。その後、DVDで映画二本見てもまだイケル、そんな生活をしたいのであるが、これまで選んだ職場が、夕方から夜にかけてアクセルのかかるような所ばかりである。自業自得ではあるが。

 いや、日本のホワイトカラーの職場は大抵そんなもんだと思う。あなたの同僚・上司・部下、午後5時以降に仕事のテンションを上げてくる奴が結構多いのではないか。ま、更には、朝から晩まで仕事漬、しかも好きでやってます、という、「家庭大丈夫?」「睡眠時間何時間?」「人生に仕事以外の何か、持ってる?」という手の、超人または馬鹿がいるが、ま、敬服はするが、遠慮させていただく。
 不思議なもので、大抵、夜遅くまで仕事していることは「アイツはすごく頑張っている」と上司も認めるのに、朝早くに来て仕事していることは、「朝早く来て何かコソコソやっている要領の悪い奴」となるのである。
 こうなってくると、雇われる側も本能的に何をすれば評価されるのかを察知して、昼間は雑談やら、リサーチに見せかけたネットサーフィンをしてた奴が、5時前後になると急に電話をかけまくったり、同僚とテンション高めの議論を開始したりするから迷惑この上ない。

 サービス残業は問題と言うのを百も承知であえて言えば、「(会社が無駄に報酬与えているという意味での)サービス残業も多いのではないかと思う。いや、多い。

 っと。残業のことを議論するのではなくって、朝型人間として、夕方のハイテンションは耐え難いと言う話である。勿論私も、「明日の朝一番提出」の書類を、完成のメドが立っていないのに明日の朝早く来て作るような愚はしない。やるとなれば、徹夜を辞さない覚悟もある。
 でも、普通の日くらいは、本当に、早く帰ろうぜ。それで嫌味を言う上司は、所詮その程度のウツワなんである。その程度の時代感覚の持ち主なんである。その程度の国際感覚の持ち主なんである。その程度の経営理念の持ち主なんである。

 最近、私の心の中で「日本的ガサツ経営」といううイメージが急に大きくなりつつある。
いや、世界に冠たる、技術や経営の歴史一変させたようなトップランナーのことをアレコレ言う資格は無いのだが、国際化の境界線でもたもたしている企業は、そういうところが多いのではないか。

【2010/09/10 11:53 】 | 生活 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
オザワさん
政治家のオザワさんのことである。
何も知らないで論評するのもアレなので、一応、ウィキペディアを高速スクロール読みした。
「私の立場とは少し違うけど、悪い人じゃないじゃん」
「コワモテ、右翼の親玉のような雰囲気あるけれども、意外にリベラルじゃん。」

この人のことについては、勿論、ずっと新聞紙上で読みもし、テレビで見もしてきたが、余り知らなかった。
ま、小泉さんみたいに、キャッチーなフレーズで政策の骨子を表現して見せるとか、菅さんみたく、かわぐちかいじや広兼憲史の漫画に出てくるようなキャラでもないけれども、ま、政治家としての治績は、評価に値する思う。いうなれば本宮ひろしの描く大物悪人キャラか。

残念ながら、今は、天の時が完全に欠けている。欠けているどころか、ワーストオブワースト、である。それでもあえて、今、どうしても、という信念があるのか、それとも、「菅さんイケメンだしなー。クチも達者だし。薬害騒動では涙も流したし。このまま人気が出て長期政権になっちまったら、俺の出番がなー。」程度の三流政治家か。

天の時、などと諸葛孔明じみたことを言ったが、実のところ、空気を読む・読まないなどという卑小なレベルのことは、小沢さんには期待していない。いずれどこかでそのパワーを総理として発揮してもらいたかった。ただ、「よくわからなかった鳩ピー」の黒幕として終えるにはちょっと惜しいと思っている。

時の到来を待って欲しい。

本当は、こき下ろすつもりが、ウィキペディアで少し共感する部分もあったものだから、トーンが変わってしまった。
【2010/09/09 13:02 】 | 社会・経済 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
泣き映画
 昔ほど映画で涙ぐむことは少なくなってしまった。何処に泣く要素があるんだというような映画でも涙ぐんでいた時代があった。今は、さすがにオッサンになったし。そうやたらめったら泣いてばいられない。
 人様に自慢できるほど映画を見てきているわけではないので、あんまり偉そうなことは言えないけれども、今でも、「見れば泣く」という映画はある。年をとって「あの頃の涙をもう流せなくなってしまった。」という映画もある。「いや、恥ずかしいけれども密かにこんな映画で泣いています。」と言うのもある。「昔見たけれども、この年になってようやく泣けた。」もあるか。

 「見れば泣く」は、何だろう。やはり、元宇宙オタクからすれば、「アポロ13」か。毎回、泣く。泣き箇所は一箇所だけである。当然最後の大気圏突入成功のシーン。あとは、ガキの頃に戻って、宇宙への憧憬を膨らませ、大人の自分として、危機対処のチームワーク、リーダーシップ、プロフェッショナリズムを堪能している。

 「あの頃の涙を流せなくなってしまった。」と言うのは、やはりスポーツ系か。「ロッキー」とか、「メジャーリーグ」とか、スポーツにおけるシンデレラストーリー的な奴。何故だろう?1998年にスポーツ観戦で流すべき涙を流しつくしてしまったからであろうか?(ベイスターズのことです。ちなみに) 多分、スポーツ映画の主人公に感情移入するだけの「体力」「運動能力」がなくなっちまったからなんだろう。

 「いや恥ずかしいけれども泣く」というのは「スティッチ」。子供の見るディズニー映画様である。でもエンディングは、泣くぞ。アレ。例によってディズニー映画的大団円であることには変わりないが、やはり、「Family」に大人としては涙ぐんでしまう。

 「今、泣けるようになってしまった」これは、今後続々登場するかもしれないが、「紅の豚」。ジブリ映画っつうのが少し恥ずかしくもあるが。この年になって、ようやく登場人物たちが背負っている何かを実感できるようになった。ジーナさんを同じような年の「色々あったけど、いい女」として感情移入できるようになったこともあるか。
 ジーナさんのホテルの上空でのアクロバット飛行につながる回想シーン。これは最近、泣ける。

 そして、最近、数年前馬鹿みたいに泣いてしまったのが、「フラガール」。あの時代の息吹を少しは知っている世代(と言っても、私のオヤジくらいの世代のストーリーなんだが)だけに、ノスタルジーも追い討ちをかけて、泣いた。いや、三箇所も「御号泣処」を作るなんて卑怯。
 御号泣処その①:サナエちゃん(徳永えり)お別れのシーン
 御号泣処その②:駅でまどか先生(松雪泰子)を引き止めるシーン
 御号泣処その③:ラストのダンスシーン。蒼井優のおへそが可愛いッス

 あとは、泣きはしないけれども、、見終わった後、充実の溜息を「ふーっ」と出す映画はある。むしろ、こちらのほうが人生に刻み込まれてしまった何かが多いので、また、いずれアレコレ書きたいが、いま思いつくのは「ショーシャンク」と「フォレストガンプ」か。
【2010/09/07 11:58 】 | 生活 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
月曜日の朝に全開になることはできるか

 いや、月曜の朝から都営大江戸線飯田橋駅構内で(具体的だなぁ)露出オヤジになるという意味ではなく、テンション全開で仕事できないか、という意味である。

 答えは、少なくとも、私自身の心身に関して、まだ無い。ヤル気汁出ねぇ出ねぇ。
 火曜日の朝になるとすっきり出勤できるんだが。つまりは、この「火曜日の朝」の状態を月曜日の朝に持ってゆくことは可能か、という命題である。

 ネットで調べたら、ブルーマンデーとかサザエさん症候群とか言った題で色々語られている。今更だが、私だけではないのだ。世界中。

 ルール違反的な方法として、日曜日は仕事をするとか、仕事の準備をするとかして、月曜の朝に向けた助走を行うというものがある。が、これは本末転倒。週末は仕事以外の人生に費やすべきであるし、長期的には、その週末に仕事すること自体が、仕事のスケジュールに組み込まれてしまう。(かつて居た職場は休日に持ち帰って仕事することを奨励し、当然のように仕事の期限に組み込むようなひどいところだったが。)
 よって、今度は「日曜日の朝」を何とかする方法に悩むことになる。

 無論、ここが勝負どころとなるような商談・会議・イベントがあれば月曜日の朝であろうと全開になれることもある。「要は根性の問題じゃねぇか。」と言われたこともあるが、それは違うのである。やはり、重要な何かの前日はそれなりに緊張もし、準備もしており、結局は日曜日に仕事をしたような状態で月曜日に臨んでいるのである。また、根性だけなら、脳味噌が機能しているかどうかはともかく、表面上は取り繕うことも可能である。
 心の内側も外側も「火曜日の朝」を月曜日の朝に持ってくるには・・・を追求したいのである。

 仕事を好きになる、とか、人生前向きに思考する、とか、ま、それができりゃ苦労しねぇよという次元の話は少し横に置くとして、完全な解決方法は無いが、漸近的な解決として試行していることは何点か、ある。ミクロ的な生活上の行動が多いが、意外に、自分の生活の、いや人生の「荒れ具合」を測るチェックポイントにもなっている。だからと言って、いったん荒れたらなかなか戻すのは大変だが。
①休日で無いと出来ないような掃除洗濯は土曜日にいつも通り起きて片付ける。
②金曜日の午後に「明日はアレしよう」と決めたことは、お姉ちゃん遊びであろうが、小林秀雄の読破であろうが、役所への届け物の作成であろうが、必ず実行する。いや、犯罪とか、とても危険な行為とか、そういうのは別だが。また、下記の③も除外するが。
③仕事は週末に持ち込まない。上でも述べたが、瞬間的には仕事も回り、翌週のモチベーションも上がるが、長期的には全く逆の状態になる。麻薬みたいなもんである。
④日曜日は一時間くらいは自分の足で動き回る。しかも昼寝がしたくなる時間くらいに。
⑤よって昼寝も出来るだけしない。夜の熟睡のためである。
⑥日曜の夜のTVも10時くらいまで。あとは、寝る。少なくとも横になる。寝付けなければ、酒を一杯引っ掛けてでも、寝る。

 ②以外は、十数年前に一回「俺ってウツじゃねぇか?」と勝手に自覚した時期があり、その状態からの脱出のために自分に律している(律しようとしている)ルールである。
 ②は、最近になってようやく気がついた。遊びであろうがエッチであろうが、知的好奇心の充足であろうが、やると思ったことをやるようにしておかないと、仕事もしなければ遊びもしない、第三の状態に落ちてしまうのである。
 医療の専門家ではないので、これを以って「うつ」であると規定するのは避けるが、月曜日の朝をある程度エンジンのかかった状態で始めるためには、ある程度、エンジンを回し続けていなければならないと言うところか。そして、その休日用エンジンは仕事以外の人生に使われるべきである、と言うところか。
 それでも、月曜日の朝、別に風邪でも、食あたりでもなんでもないのに、「すさまじくテンションの低い」状態で起きてしまうことも少なからずあり、果たして自分のやっていること自体正しいのかどうか、未だにわからないのである。

人生って、色々大変だなー。と、最近になって悟った。

 途中、簡単に飛ばしたが、社員を雇う側の立場として、「仕事を好きになってくれる」「月曜日に働きに出ることが楽しみになる」ような環境づくり、というのは、これほど難しいことはあるまい(と、いうか意識している経営者も少ないと思う)。勿論。、長期レベルでの継続的な企業の成長も果たした上でのことである。
 「仕事が趣味です」という馬鹿レベルの話ではなく、会社全体の社風としての話である。

 これについては、語りたいことは多いが、またいずれ。

【2010/09/06 09:17 】 | 社会・経済 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
<<前ページ | ホーム | 次ページ>>