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【2026/02/04 14:45 】 |
上司の振り上げたコブシ

 ま、酒場の愚痴に近いが、かつての経験。

 というか、複数回違う上司と、違うシチュエーションで似た経験をしているので、以下は、まあ、例えだと思ってほしい。

○上司がさる事柄について質問してくる(当然社内ではその道の専門家として通っている)。
○上司は、専門家としての自信から、当然私ごときに意見陳述など求めておらず、単に私の業務知識の不足を自覚させるために質問していることは解る。
○回答は、A、Bどちらかが考えられるが、上司がどちらの回答を期待しているかはわからない。不確定性の高いビジネス上の選択のことであり、どちらを答えても正解といえば正解である。
○上司の期待しない回答をすれば、当然「だからお前は日頃の研鑽が足りない」と説教が始まる。
○たとえ私が上司の期待する解答を選択したとしても、上司は更に難易度の高い次の質問をいくつか用意しており、それらに全て答えることは不可能に近い
○むしろ、上司は私がどちらを選んでも「お前は日頃の研鑽が」という説教を変える気は無さそうである。
○そこまで考えたら、何やら馬鹿馬鹿しくなり、多少はマシかもしれない「A、Bどちらかが、選択肢として存在すると思われますが、Aのメリット・デメリットはカクカクであり、Bのメリット・デメリットはシカジカであって、現段階ではどちらを選択するかは判断が付きにくいものと考えております。」・・・などどいう優等生的回答をする気も失せ、全てを省略して、「ワカリマセン。スミマセン。」という煮るなり焼くなり好きにしてくれ的回答になってしまう。それで、説教である。
○説教になれば、限りある業務時間が奪われ、クオリティが落ち、机上にペンディングの書類が溜まってゆく。深夜残業か、関係部署や顧客に謝罪である。

 別にその上司達を恨んでいるわけではないし、むしろ彼らの仕事に対する執念とか、該博な業務知識、人脈の広さは当時の彼らと似た様な年齢になった今でも凄えと思っている。当時の薄っぺらな知識で仕事のクオリティも低かった私のほうが、説教に値する状態であったことは当時から否定していない。

 ただ、上司の振り上げたコブシを如何に無難にやり過ごせるかばかりを当時は考えていた。

 ただ、現在でも、「回答」は見つからない。上司としての回答も含めて。

 

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【2010/08/28 21:34 】 | 社会・経済 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
今更だがケイタイが嫌い

 15年前だったらまだ堂々と主張できたのだが、現在はそんなことを言えば変人扱いである。
 会社の総務系の制度(緊急連絡網とかね)も今時携帯電話を所有していることが前提になっている。

 さすがに社会人として変人扱いは困るので、私も日和見的に携帯電話をもっているのであるが。いや、I-Phoneまで持ってしまった今、携帯電話が嫌いです、などとは言う資格も無いのかもしれない。ははは。
 それでも携帯電話は、電話の機能に関して、嫌いである。携帯情報端末としての機能は認めるが。ここら辺はI-Phoneに代表されるスマートフォンはスゲエ。例によって、使える機能のおそらく10%も使用していないと思うが。

 繰り返すが、携帯電話が嫌いである。社会と自分とを繋ぐインフラ的な情報パイプラインとしての電話は、百歩譲って黙認する。但し、個人の行く先何処へでも追いかけていって所有者を支配する携帯は認めない。
以下は、何人の人にも笑われたが、
「この俺が、(まあ、国家権力とかに狙われたら別だが)世界中の誰にもわからない場所で、世界中の誰にもわからないことをやっている最中に、ズカズカと土足で踏み込んでさあ出ろ今出ろ出ないとお前は非国民だ、まさに身を震わせてそう言い立てているような携帯は許せない。」
と言う主張を持ち続けている。(ここらへんは、筒井康隆による電話嫌いのエッセイ、小松左京の「プライベートマネー」の影響を強くうけておりますな。)
「だったら電話切っとけばいいじゃん。」という簡単な一言で片付けられたが。

 一方、世の中には、確実に電話を取ってはいけない場所で電話を取ってしまう方々が結構居る。いや、ひょっとしたら、そちらのほうが多数派ではないかと思うくらい、居る。
以下、仕事柄、海外系が多いが。

①滑走路に出て滑走体制にさあこれから入るぞ、という飛行機の中。(ちゃんと切れよ。世界のマナーだ。)
②入管の係官の目の前。(いや、後ろもつかえているし、係官に失礼だし、入国する気あんのか?)
③あなたの現職の生殺与奪権を握っているボスが参加するシリアスな会議の最中(私だったら、ちゃんとスケジュールで定められた会議中にも携帯に出なければならないような仕事をする奴は信頼しないが、かつてのボスは、自ら携帯取る派だったので、会議がアナーキイだったなぁ。)
④俺と、お前が顔を突き合わせて一対一で真剣に話し合っているその最中。これは、私の場合は、会社の内線にも出ない、ラインの上司から命令されない限り、と言うのがポリシーである。これも相当、偏屈らしい。
⑤車の運転中。これは多い。かつての飲酒運転の如く、今は「そうは言ってもしょうがないじゃん」で済んでいるが・・・

ま、世の中の流れに逆らうつもりは無いが、もし、社会的立場や人間関係を気にしなくて良い職業に就けるとしたら、携帯電話は絶対に持たない。

それだけは言える。

【2010/08/27 11:59 】 | 生活 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
ベイスターズ 弱いね
石井波留鈴木ローズ駒田佐伯(中根)進藤谷繁
と、書いてみた。
ベイスターズファンなら、ま、念仏みたいなもんである。
負ける気がしなかったねー、あの頃。とは言いつつ、実際の戦績を見ると意外に勝ってないのである。

それでも、負ける気がしなかったのは、勝つときの爽快感が尋常じゃなかったからだろうか。
残念ながら、あの年の後半は、「ローズジャンプをするためだけに球場に来ている輩」に辟易したので、お盆のあたりの神宮球場でのヤクルト戦を最後に行かなくなってしまった。

佐々木は神様だった。ローズは史上最高の助っ人だった。鈴木タカノリはいずれ三冠王を取れる大器だと思っていた。権藤さんは理想の上司だった。三遊間、ニ遊間は鉄の壁だった。なぜかいつも満塁で駒田に回るめぐり合わせに興奮した。佐伯は松井秀を凌駕するもんだと信じていた。

海外に出てしまったのは日本シリーズ優勝の直後のことであった。チームメンバー全員の名前が載っている優勝記念Tシャツが唯一の宝物になった。

10年後、石井琢と鈴木尚典の最後の出場となるハマスタ最終戦に帰ってきたとき、もう、かつての夢と光はどこかに消えてしまっていた。無論、その後もネットで戦績はチェックしていたのだが、球団のオーラ、球場の匂い、まるきりどこかに消えていた。

応援は、垢抜けていたし、シウマイ弁当は相変わらずであり、ビールの売り子の姉ちゃん達は、多分、関東圏では一番綺麗なのではないかと。ディアーナは、、、、まぁ、まぁだったか。

んなことはどうでもいい。弱いことである。
今年は近年まれに見る大増強で、上位を狙う位置にまで達したこともあったのだが。。。。いつの間にか定位置。しかも、5位の姿さえかすんでしまうような定位置である。

10年ぶりにタイムとリップのようにして、最高のチームと最低のチームを見たから印象は強い。内野の守備。先発の層の厚さ。中継ぎの安定感。一番二番の安定感。クリーンアップの打撃。下位打線への期待。そして、クローザーへの絶対的信頼。

こんなことを書くと、普通のサイトなら、懐古廚と叩かれるので、ここに吐き出させてもらった。12年ぶりに。
何かが絶対的に間違っているよ。多分。それは、いずれまた。今シーズンが終わったあたりで。
【2010/08/27 11:05 】 | ベイスターズ | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
小松左京「復活の日」

 海外に行く際には、いちいちくだらないものまで引越し屋に運んでもらうのも金の無駄なので、結構な量の本を置いてゆかなければならない。大体、飛行機の中で読んで飽きない数冊のみを手荷物の中に詰め込んで行くことになる。
 一番最初の渡航の時は開高健「最後の晩餐」だった。右も左もわからない留学生活の中で、しかも、不良学生と相部屋のドームで、深夜、ベッドの中でボロボロになるまで繰り返し読んだのを覚えている。

 今回は、浅田次郎数冊、開高健「白いページ」復刻版、そして小松左京「復活の日」である。
人生の中で繰り返し読んだ本は、司馬遼太郎「項羽と劉邦」とこの「復活の日」が双璧をなしている。もう、何回読んだか、というレベルではなく、「たまたま開いたページから読み始める。」「今日はこの場面、と決めて読み始める」というレベルである。もう、四半世紀以上になる。

 ガキの頃は、「核酸」「ブドウ状球菌」「バクテリオファージ」と言われても何も判らず、ただ、世の中が四半期かけて(いやだねー、この社会人的表現)崩壊してゆく様に戦慄し、南極で生き残った一万人の運命に感動しただけであるが、この本にちりばめられたプロットのほとんどを理解できるようになった今(一部、哲学に関する記述の中で、わからないところアリ)、読むたびに改めて発見し、感動する状態が続いている。

 アマゾンの書評の中には「間に挿入されている社会学者の長広舌が蛇足。」とか書いてあったように覚えているが、私に言わせれば、聞く人も死に絶えた、人類最後の授業(ラジオ教養講座)にしてはまだ軽すぎる(ほめ言葉である。ちなみに。)、という印象である。

 映画?映画はつまらなかった。あれじゃ、絶滅の危機感が伝わらない。カドカワのお金ではアレが限界であろうが、おそらく二部形式、ないしは三部形式にしてディテールを作りこんで欲しかった。物語そのものは、現代でも全く色あせていない筈なので、リメイク作品がブームとなっている今、是非とも作って欲しい。

 年を経て、もう一つ変わったことが、出発前夜の吉住とイルマおばさんの行動、イルマおばさんの肌触り、最後のイルマおばさんの「ヨシズミだわ!」に込められている感情、とかが理解できるようになり、年甲斐も無く目頭を熱くさせてしまうことである。この部分は、さすがにネタバレ。これ以上は語らないで措く。

【2010/08/26 12:14 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
ほめおぱしーって何だ
ホメオパシーについての話題がここ数日でニュースに流れた。

ウィキペディアからのコピペ
「ホメオパシーは、「健康な人間に与えたら似た症状をひき起こすであろう物質をある症状を持つ患者に極く僅か与えることにより、体の抵抗力を引き出し症状を軽減する」という理論およびそれに基づく行為である。ホメオパシーは、200年以上前にドイツ人医師が提案した思想をもとにした理論である。今日でもイギリスを中心とした複数の国にホメオパシーは浸透しているが、少なくとも科学的な効果は全くないといえる。」

 ところでほめおぱしーって何だ、と言うところからスタートしたくらいだから、その手のイカガワシイ治療法なり健康法なりとは無縁・・・の筈である。筈、というのは、ひょっとすると自分の生活習慣の中で自覚しないまま、イカガワシイものを実践している可能性もあるから。特に、仕事の上で自分のマインドを一定レベル以上に持ってゆくことについては、多分自己流の迷信だらけだから。ま、それは別の機会に譲るとして。

 ガキの頃は、ノストラダムスに始まって、矢追純一、心霊現象、ピラミッドパワー、失われた超古代文明、ツチノコ、ヒバゴン、ネッシー、超能力なんでもアリだったけれども、例の大槻センセイの著書を読んでから、180度方向転換した。(但し、その大槻センセイにしてからが十分にアヤシイことを後々知って、自分の至らなさを悟ったのであるが。ま、一つの契機を与えてくれたことには間違いない。)

 それらに比べると、ホメオパシーはまだ理性あるほうかと思うが、やはり、原因と結果の間に良くわからないモヤモヤがあったり、結果の測定が恣意的なものであったりするところを見ると、そこらへんの新興宗教の壷やオフダと同心円上にあると言わざるを得ない。 中には、完全に開き直って、「科学ではありません。道徳です。」と言ってのける輩もいるそうで。あ、これは水の結晶をアレコレいうオヤジのことで、ホメオパシーとは関係ないか。

 で、ホメオパシー。類似の民間療法の類はそれこそ有史以前から存在して、ま、それなりに産業革命後の世の中とも折り合いをつけてきたはずなのであるが、殊更、警告を発するからには(死亡事故があったらしいが)何か抜き差しならぬ事情があったのであろうか。そこらへんはニュースやウィキペディアからは読み取れなかった。

 この内閣府の機関であるところの「日本学術会議」から「信じたらアカンでぇ」と警告が発せられたことは歓迎したい。無論、ホメオパシーを信じる人、実践する人、理論構築する人、開発する人、それぞれからの、科学的な反論も大歓迎である。もし、人間の免疫機能に対する非常に深い理解と洞察から、革新的な医療体系としてホメオパシーが確立されればそれはそれで慶賀すべきことではないか。
 ま、それをすっ飛ばして、ないしは、効果が無いことを無視、無理解のまま、医療に使用しているから、問題なのであろう。
 
 ま、そんなところで。
【2010/08/26 11:39 】 | 生活 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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